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2007年08月09日

スピノザとフェルメール

9月26日から国立新美術館で開催される《フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展》を、ぼくも楽しみにしていますが、そのフェルメールとスピノザについて触れた文章のご紹介です。

つい最近もとり上げた月刊誌『思想』の今回は7月号(第999号!)に、箭内匡(やない・ただし)さんが「映像・光・スピノザ ― 「内在性の映画」が示すもの ―」という論文を寄せられています。

フェルメールに関する箇所を ―
美術史家のスヴェトラーナ・アルパースは、一七世紀のオランダ絵画を理解する上で重要なのは、「カメラ・オブスクーラが生み出す像の性格とかそれを利用したことにあるのではなく、むしろこの装置に信頼をおいたという事実である」と指摘する。

例えばフェルメールは、カメラ・オブスクーラが示す光の錯乱円やボケ、ソフトフォーカスなどの光学的効果 ― 人間の視覚が識閾下で補正処理し、無化してしまうような ― を、不自然なものとして拒絶するどころか、反対に絵画の上で積極的に再現することによって、むき出しの光学的現実を鮮明に表現して見せた。

ここには確かに視点のコペルニクス的転回がある。ルネサンスの絵画が、人間的視点に基づく遠近法によって世界を再構成しつつ、人間的な物語を展開するものであったとすれば、一七世紀のオランダに出現したのは、さまざまな光学装置(カメラ・オブスクーラのみならず、顕微鏡、望遠鏡など)の助けを借りつつ、世界が人間的な視覚の表象である以前に光学的な現象であるという根源的事実を、冷静に認識する態度であった。

このような態度は、スピノザの『エティカ』における、人間中心的な世界観の狭隘さを脱して世界を眺める態度と見事に共鳴するだろう。

フェルメールが絵の具と絵筆を用いて、人間の視覚によって解釈される以前の「むき出しの現実」を示したとするなら、スピノザは哲学的概念と幾何学的方法を用いて、人間的思考が到達する以前の「むき出しの現実」を示してみせたのである。もちろん、そうしたむき出しの現実は、いまだ視られ、あるいは思考されていない未知性、神秘性を永遠に保持したものである。

フェルメールの絵画の示す光学的現実、スピノザの哲学が示す自然=神のさまざまな様態は、自らのもとに我々を誘い入れると同時に(なぜなら、我々自身がそうした光学的現実、そうした自然=神の一部であるからだ)、我々をどこか退け、我々の視覚と思考の有限性を示しながら、そこに存在しつづける。

little_street.jpg

スピノザの研究者イヴォンヌ・トロスは、フェルメールの絵画《小路》(1658年頃)のディテイルをスピノザ哲学の基本的なテーマと関連させつつ綴った興味深い文章の中で、白色光はスピノザにとっての永遠で無限の実体 ― つまり神=自然 ― の特徴を示すものであり、これに対して、光の波長に応じて分化した様々な色(紫、藍、青、緑、黄、橙、赤)はスピノザの言う有限様態 ― つまり個々の存在たち ― の特徴を示すものだとする。

《小路》の、左上の空から注ぐ白い太陽光は、虹色を帯びた雲のプリズムを経て分化し、絵の中断から下段に描かれた様々な人物や事物として様々な色を放ちながら輝いている(トロスが指摘するように、興味深いことに、《小路》では左から右へ、藍、青、緑、黄色、橙、赤が、この通りの順序でちりばめられている)。

光としての個々の存在は、有限な光として、無限な白い光に帰属するのであり、そして無限な白い光は、様々な有限な光の形によって自らを表現する(そして我々の視覚は、有限な範囲の光を知覚しうるだけである)。

フェルメールの絵画に見て取れるスピノザ哲学!痺れます^^

‘虹’=「有限様態」(個々の存在たち)!!

 
posted by sakae at 23:59 | Comment(3) | TrackBack(0) | スピノザの宇宙

2007年07月09日

浅野俊哉「〈良心〉の不在と偏在化」

ひさびさのスピノザに関する引用を ―



巻頭論文が、浅野俊哉さんの「〈良心〉の不在と偏在化 ― スピノザにおける morsus conscientiae の行方 ―」です。

この論文をきちんと理解しているとはとてもいえませんが、それでもスピノザの思想の‘現代性’を強く感じました。

ただの部分的引用ですが、関心のおありの方は是非。
 
◎浅野俊哉「〈良心〉の不在と偏在化」
posted by sakae at 02:12 | Comment(3) | TrackBack(0) | スピノザの宇宙

2005年06月25日

脳科学とスピノザ

月刊誌「現代思想 2005年2月号 (Vol.33-2)」(青土社)にスピノザに関する記事が取り上げられていることを知り、早速読んでみました。

「特集 脳科学の最前線」の巻頭を飾るのは、気鋭の脳科学者・茂木健一郎さんと写真家(多摩美でも教鞭をとられている)港千尋さんとの刺激的な討論「イメージする脳」。なお( )内の言葉及び注は引用者。
<前略>
茂木 ニュートン的な時間の概念では説明できないことが、私たちの時間の主観的体験についてはあまりにも多すぎる。物理的時間と心理的時間は別個の問題として扱わないといけない。イメージが単なる光の反射の集合ではないのと同じことで、体験される時間の様相は物理的時間と当然違うわけです。そのような意味での心理的時間のリッチネス(豊かさ)をどう耕すかということ以外に生きる愉しみがないなと思っています。アーチストはそれを体験的にやっているんでしょうね。

そうでしょうね。そこで重要になるのが feeling of knowing*(既知感)の feeling の部分ですね。クリエイティヴィティ(創造性)にとって何が一番アフェクト(影響)するかと。まさしく情動の問題です。アメリカの脳科学者ダマシオの著作は The Feeling of What Happen**(起こっていることを感じること) で、そのあとが Looking for Spinoza***(スピノザを求めて)、やっぱりフィーリングですね。最初の著作でデカルトを批判したダマシオ****がスピノザにいくのはよくわかる。なぜスピノザがおもしろいかというと、徹底して情動の役割を強調したことでしょう。デカルトは別に情動の役割を否定しているわけですが、スピノザは怒りと悲しみ、喜びといった情動を徹底的に探査することを通じて、神を考えた最初の思想家ですよね。ダマシオが読み込んだスピノザは、行動をガイドする役割としての情動の役割とうまくシンクロ(同期)した。さきほどの内からのイメージにとっても、鍵は情動にあると思うのですが。

茂木 情動というのはまさに時間の問題にかかわるし、それから不確実性の問題でもある。過去/未来というのは、それぞれ、確実なものと不確実なものに対応する。すでに起こってしまって、確実な過去と、まだ起きてはいない、不確実な未来の境界面に感情があるわけです。デカルト以来の近代合理主義で捉えそこなったものは、不確実なものの意味合いだと私は思います。
<後略>


*feeling of knowing「最近、記憶の脳内過程を研究する上で、FOK(feeling of knowing)という概念が注目されている。日本語でいうと「既知感」です。たとえばど忘れしてしまって思い出せないんだけど、その記憶が確かにあることはわかる。あれが FOK で、前頭葉の神経活動で生み出されることがわかっている。FOK が、過去の記憶ではなく、未来に生み出されるものに対して展開されたときに創造が起こる」(茂木)

**The Feeling of What Happen ダマシオ・アントニオ著, 田中三彦・訳『無意識の脳 意識の脳―身体と情動と感情の神秘』

***Looking for SpinozaAntonio Damasio『Looking for Spinoza: Joy, Sorrow, and the Feeling Brain』

****最初の著作でデカルトを批判したダマシオダマシオ・アントニオ著, 田中三彦・訳『生存する脳―心と脳と身体の神秘』

この21世紀は、"脳の世紀"ともいわれるとか。門外漢なのでよくわかりませんが、かつては哲学が担当した分野に脳科学が挑もうとしているのか、現代科学の行き詰まりを脳科学が哲学の力を借りて越えようとしているのか。いずれにしてもなんだかスリリングな事柄が展開されているようです。そこにスピノザの名前が!まさに17世紀に生まれた『未来の哲学』ということでしょうか。

同誌には、桜井直文さんの「身体がなければ精神もない ダマシオとスピノザ」という論考も収められています。
posted by sakae at 00:00 | Comment(8) | TrackBack(0) | スピノザの宇宙

2005年05月25日

スピノザ

どこかの出版社のキャッチではありませんが、"はやくも今年度のベスト1!登場"です。無論、ぼくにとってです^^

『スピノザの世界―神あるいは自然』上野 修


まだ最後まで読みきっていないのですが、ページを繰るたびに、そこで繰り広げられるスピノザの言葉と上野さんの解釈によってあきらかにされていく、スピノザの世界の見方・捉え方に深い共感と感銘を受けています。

わずか720円の新書というスタイルをあなどってはなりませぬ。その中味を思えば、凡百の新刊本の中にあってもそのそっけない表紙ですらも何か輝いて見えるほどです。素養がないためあれこれ書けないのが歯がゆいのですが、この本を読まないのは一生の損!です。言いきっちゃいました〜^^;

とはいっても、スピノザは哲学者ですから、上野さんの分かりやすい説明をもってしても一読でわかるようなものではないでしょう。ならば何度でも読みましょう。この本のおかげで、原典(言うまでもなく翻訳されたものです)にチャレンジする気になりました。

『エチカ―倫理学 (上)』スピノザ(畠中 尚志:訳)

『エチカ―倫理学 (下)』スピノザ(畠中 尚志:訳)

「フェルメールと同じ年に同じオランダに生まれた」というただそれだけのことで、スピノザに興味を持ちました。17世紀のオランダ、いやはやおそるべし!
posted by sakae at 23:05 | Comment(5) | TrackBack(0) | スピノザの宇宙
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