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2007年10月13日

‘なぜインドネシア語だったのだろう’ ― 小野俊太郎『モスラの精神史』

すでに各紙の書評欄で取り上げられているように、この本は‘モスラ’を語りつつ、それを取り巻く日本の戦後史の一面を見事に語った、魅力あふれる一冊です。



今回とりあげたいのは、帯にもある‘あの歌’ ― 映画の中でザ・ピーナッツが歌った歌がなぜインドネシア語で書かれたのかをめぐる考察の一端です。

それに先立ち、日本とインドネシアとの「一筋縄ではいかない」関係が述べられます。そもそも「インドネシアや南太平洋の神話と記紀神話との間に共通性があ」り、「共通の祖をもっている可能性すらありうる」という指摘からはじまり ―

十四世紀以降、主にバタビヤ(ジャカルタ)を中心に、「朱印船」や「からゆきさん」や「軍政」といった言葉で代表されるかたちで、日本とインドネシアの関係は続いてきた。

そもそも鎖国時代の日本に蘭学が入ってきたのも、オランダ東インド会社が現在のインドネシアの西半分やマレー半島を支配していたからである。蘭学というヨーロッパの文化ヘの窓口は、インドネシアの植民地支配という現実があってのことだった。しかもスマトラの石油などの具体的な産物への関心が、太平洋戦争の戦況を動かした点は忘れるわけにはいかない。
(p.140〜141)

インドネシアの地理的位置は、オランダと日本の間に位置しています。そんなことは言うまでもないことですが、‘海洋の道’を思い描くときこれは大切なポイントですね。

Indonesia.gif


ちなみにこの地図は、ウィキペディアにも採用されている《Online Map Creation》を使って作成しました^^

インドネシアは多民族国家である。その統一のためには共通する言語が必要で、それが一九四五年憲法で決まったインドネシア語だった。しかも「モスラの歌」となったインドネシア語の普及自体に、結果として日本が加担した面がある。

オランダ統治下ではオランダ語が支配語だったのが、その地位を駆逐された結果、第二公用語だったインドネシア語が新しい地位をえたのだ。


交易のために発達した共通語を、オランダが統治に利用して、第二言語にしたわけである。当然ながら、ジャワ人など現在もその選択に反感をもつ人びともいる。そもそも、人工的な言語やメディアによる統一された国家とは「想像の共同体」なのだが、この語はインドネシアの状況を説明するためにベネディクト・アンダーソンが明確にした概念だった。インドネシア語はそうした運命を背負った言語なのだ。

ただし、日本はインドネシアにおけるオランダ語の支配を終了させたかもしれないが、三年半の軍政下で日本語教育もおこなった。その断片がひとつの作品の形で残っている。それはほかならない「モスラの歌」の作曲家である古関裕而が、サトーハチローと組んで作った「アイウエオの歌」である。

これは一九四五年に公開されたアニメーション映画『桃太郎海の神兵』で歌われた。インドネシアのセレベス島メナスでの海軍の落下傘部隊による戦闘を扱っていた。挑太郎の鬼退治を下敷きに、そのまま動物のキャラクターで描いたものである。ただし、桃太郎や敵側は人間の姿をしている。

日本語教育のようすを描くなかで「アイウエオの歌」が登場する。ハーモニカで始まったメロディが、「アイウエオ」という合唱になり、しだいにみごとに組みあわされ、最後にはワーグナー流の壮大な曲となっていく。これを公開当時観た手塚治虫が感動して「ジャングル大帝」で再現したのでも有名である。
(p.141〜143)

話題はさらに、「そもそも、日本における怪獣映画の起源が、インドネシアとは因縁浅からぬものがある。…」と広がりを見せていきます。興味を持たれた方は是非手にとってみてください。

話題満載です^^

 







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2007年10月04日

小島なお『乱反射』とレミオロメン・藤巻亮太

きまって日曜日に図書館を訪れるのは、届けられた予約本を借りるためなのですが、カウンターの前に新着本の書棚があって、手続きの間に手を伸ばすこともあります。

たいていはぺらぺらとめくって元に戻すのですが、こちらは冒頭の一首に惹かれて借りてきました。

小島 なお
乱反射―歌集


こころとは脳の内部にあるという倫理の先生の目の奥の空


あとで知ったことですが、第50回角川短歌賞を受賞した‘乱反射’を中心に、17歳から20歳までの三年間に詠んだ歌をあつめた第一歌集だそうです。

冒頭の歌は、高校生時代のものですね。気になった歌をいくつか挙げてみると ―

天井に水面が映り水の夢浸透圧に冒された昼

牛乳のあふれるような春の日に天に吸われる桜のおしべ

黒髪を後ろで一つに束ねたるうなじのごとし今日の三日月

特急の電車ぐわんとすぎるとき頭の中でワニが口開く


十代の感性で切り取られた情景の中に、ほのかにたゆたう官能ともいうのでしょうか。そこに魅力を感じます。

図書館の本なのでとられていましたが、帯にはレミオロメンの藤巻さんが推薦文を書かれているそうです!

「あの頃を過ぎた人も、真っ只中の人も、全ての時間の一瞬一瞬ってこんなにも素敵だぞ」


ちょっと調べてみると、8月29日付け読売新聞水曜夕刊・カルチャー面の「PoPStyle」で、小島さんと藤巻さんの対談が掲載されているということで、さっそく(遅い^^;)チェックしてみました。そのなかで ―

藤巻:この歌集を読んだとき、言葉の質感にひかれました。例えば…。

【妹が叱られている雨の午後こぼれ落ちゆくアロエの果肉】

なんだか色や匂いがあって、ウェットな感じもする。かわいい。

小島:その歌をほめてもらったのは初めてです。ありがとうございます。

小島:そう言えば、わたしレミオロメンさんの曲を聴きながら、よく短歌を作ることがあります。

【ゆらゆらとくらげふえゆくこの夏もビニール傘はなくなっている】

この歌は、アルバム【HORIZON】の「傘クラゲ」を聴いていて、ふと言葉が浮かんできました。

藤巻:歌詞を書いていると、つい内面を吐露し過ぎることがあります。でもこの曲は、伝えたいことと自分を冷静に見ることのバランスがうまく取れた。

小島:「深海に沸く静かなマグマ」「二つの傘のクラゲ」。本当に独特な言葉遣い。触れていると、瞑想しているように自分の中でイメージがわき上がってきます。

短歌は今もそうでしょうけれど、声に出して歌うことが基本にあるのだろうと思うので、ポップスの歌詞とももっと影響し合ってもいいのかもしれません。

‘傘’が出てくる次の歌も気に入りました。

なんとなくかなしくなりて夕暮れの世界の隅に傘を忘れる


クァク監督の【ラブストーリー】のあのシーンがふと甦りました^^ そのつながりで次の歌も…。

なにもないこともないけどなにもない或る水彩画のような一日


小島なおさんの画像は、《コチラ

 


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2007年07月23日

河合隼雄【文化共存の道へ】

先週、河合隼雄さんの訃報が伝えられ、新聞に掲載された追悼文を読み、あらためて氏の存在の大きさを知りました。朝日新聞には、梅原猛さんの「‘河合心理学’未完が残念」、読売新聞には中沢新一さんの「日本人救った知恵の賢者」と見出しの付けられた文が寄せられています。

また、先程(22日午後11時〜)NHK教育【河合隼雄さんをしのんで「年越しトーク 文化共存の道へ」−河合隼雄の四つの対話】を視聴しました。2005(平成17)年1月1日の番組の再放送でしたが、これも示唆に富むものでした。

番組タイトルにあるように、‘多様な文化(価値)の共存’をめざして、4人の識者との対談から構成されていました。その筆頭が、偶然にも
前回の記事《‘アジアを背景とした韓流ドラマ、歓迎’》に登場したジャック・アタリさんでした。

氏は、平成16年度《国際文化フォーラム第2回》に来日し、《討論「文化の多様性」》に参加されています。

他にも山折哲雄さんを除いて、李御寧(イ・オリョン)さんや山崎正和さんもこのシンポジウムに参加されているので、そのつながりでのお話だったように思います。当時、河合さんは文化庁長官でした。

当時の報告書は、上記サイトでPDFファイルとしてアップされていますので読むことができます。

河合さんの本は、昔ほんの一時期つけていた読書カードに一冊記していました。(もう25年も前のことですが^^;)


(p.99)
「生きた形態は、塑像として見えるためには深い影を必要とする。影がなくては、それは平板な幻影にすぎない」(ユング)
(p.101)
…二の象徴性について、ユングは中世の哲学者の考えを援用しながら、人間にとっての最初の数というものは、一ではなくむしろ二ではないかと述べている。つまり、一が一であるかぎりわれわれは「数」ということを意識するはずがなく、何らかの意味で最初の全体的なものに分割が生じ、そこに対立、あるいは並置されている「二」の意識が生じてこそ、「一」の概念も生じてくると考えられる。二はこのように分割、対立を仮定するものであり、葛藤と結びつきやすい。このような意味で、二は影の関係の深い数である。定立するものと、反定立するもの、このダイナミズムから新しいものが創造される。このために、次に生じる三という数が高い意味を持つ…

と、[1982,10,12]のカードに引用していますが、今回の「文化の多様性と共存」にもつながる気もします。

河合さんはカウンセリングの本も書かれていますが、日本と異文化との橋渡しをするまさに‘文化カウンセラー’としての仕事をされていたのかもしれません。
 
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2007年07月14日

コン・ジヨン/蓮池薫・訳『私たちの幸せな時間』

本日、《映画『私たちの幸せな時間』》が封切られました。この作品は、韓国で公開されたときから観たいと思っていました。いま、原作を読んでいます。

孔 枝泳, 蓮池 薫
私たちの幸せな時間


先日、テレビ朝日の番組で鳥越俊太郎さんと蓮池薫さんの対談が放映されたのを観ましたが、今回の翻訳が10作品目であることや、現在も北朝鮮にリアルタイムでウォッチされているという発言など、考えさせられる内容でした。

韓国サイトに、別の蓮池さんのインタビュー記事がのっていました。

[この人] “北でも南でも人の情緒は似たり寄ったり…民族意識強い”
[ハンギョレ 2007-06-26 19:02:43]

去る 5月末、小説家コン・ジヨンさんのベストセラー『私たちの幸せな時間』を日本語で翻訳出版した蓮池薫さん(49)のインタビューは、紆余曲折をへて実現した。

出版社の担当者にインタビューの仲介を依頼したが連絡がなく、原作者であるコンさんに助けをもとめた。信頼できる新聞社というコンさんの電子メールを受けた蓮池さんから電話が来たのは、一週間ほどたってからだった。

蓮池さんは、インタビューに応じながらも多くの但し書きと条件をつけた。苦しい彼のこれまでの歳月を思えば、十分理解できることだった。

24年間の不本意な北朝鮮での生活のあげく、去る2002年日本に帰って来た蓮池さんは、いわゆる拉致被害者だ。1978年中央大学法学科 3年在学中に、故郷の新潟県柏崎市で暴漢に拉致され、北に連れ去られたと言う。去る10日、柏崎市のあるホテルで会った彼は、拉致問題に対しては、 「言論に自分の見解を話すのは、問題解決に役立たない」と言葉を濁した。

蓮池さんは、「私の意志に反してのことだが、現地で長い間学んだ言葉を無駄にしないようにするために」、 2005年5月キム・フンさんの『刀の歌』を『孤将』というタイトルで翻訳出版して以来、『私たちの幸せな時間』まで10冊の韓国書籍を翻訳した。彼は、‘失ってしまった 24年’を埋め合わせるかのように、1人3役で忙しく生活している。

昼には、新潟産業大学で非常勤朝鮮語講師兼職員で働く。夜には復学した中央大学法学部(通信過程)の学生に帰る。翻訳作業は夜明けの3時から朝7時まで集中的におこなっている。



彼は『刀の歌』を翻訳しながら 、「文章が鋭く力があり、まともに翻訳することができるかとても心配だった」と言う。草稿を4〜5ヶ月かかって翻訳してからも推敲を繰り返えして、完成まで 8ヶ月かかった。「何より主人公の心理描写がすぐれている。そしてこの作品は普通の小説ではない。視覚・聴覚・嗅覚に訴える作品だと感じた。」

死刑囚と富裕な家系出身の美術講師との出会いを通じて、傷を負った魂の癒しの過程を描いたコンさんの小説に対しては、「個人的小説が大部分である日本の小説と違い社会問題を扱いながらも、読み終わると心が明るくなり、希望が伝わる」と評価した。

― 北朝鮮で学んだ朝鮮語で韓国の作品を翻訳する際、難しいことはないか?

彼は、北の人間も南の人間も情緒的な部分は似ているから、大きな難しさはないと語った。「北に住み、庶民たちと付き合う機会があったが、純朴で心の温かい人々が多かった。生活が貧しいので、感情ががさつな人もたまにいたりしたが…。」

彼は5月中旬コンさんの日本訪問を案内するために、二ヶ月間、集中的に韓国語を勉強したと言った。彼の言葉には北朝鮮式イントネーションと表現を土台にしつつ、少しソウルの言い回しと日本式考え方がまざっている。

彼は、自分の特異の経験に対する韓国の人々の反応を見ながら、「韓国人は本当に民族意識が強い」という感じがすると言った。「私に手紙や電話で、すまないと言う在日韓国人たちが少なくない。そのため‘ありがとうございます。でもそんな風に思わないでください’と言う。」

翻訳作業は実際にどんな意味があるか尋ねた。彼は、2004年日本に帰って来た子ども達の話をあげた。「子ども達は、二十歳をすぎて日本へ来たから日本語が下手だ。しかし、それを弱点と思わないで、韓国語がうまくできることをを強みだと思いなさいと言った。北朝鮮で育ったことをハンディキャップと思わずに、これから北朝鮮との交流が生じれば、いろいろ活用することもできないことではないだろうと。そのような意味で、翻訳作業は子ども達が好きなようだ。」

望まない北朝鮮生活は彼にとって、 「したいこともできず、会いたい人にも会えなくて個人的に大きい損失」だった。けれども彼は過ぎた歳月を嘆いて暮す姿を、少なくとも子ども達に見せてはいけないという思いで暮していると語った。

 
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2007年05月23日

コミック『砂時計』 ― 小学館‘試し読み’で第1巻50ページまで読めます

最近では、ドラマ【砂時計】毎日欠かさず観ています^^

残すところあと1週間とちょっと。‘大人’の役者陣もまたいいですねぇ。ドラマについては最終回が了わってからふれたいと思いますが、今回はコミックの方です。

芦原 妃名子
砂時計 (1)


小学館のオンラインショップ》で‘試し読み’ができます。

Windowsは無論、MacOSX上のFirefoxでもプラグインをインストールすることで快適に読むことができます。マンガもネットで読む時代をむかえつつあるのかな。

ちなみにぼくは全10巻、大人買い(?)しました^^v
 
posted by sakae at 23:15 | Comment(4) | TrackBack(0) |

『CONTINUE special のだめカンタービレ』発売!

Amazon等で上位にランクインしているので、ご存知の方も多いと思いますが、あの『CONTINUE』がスペシャルとして‘のだめ’を特集です。


【表紙】のだめカンタービレ(二ノ宮知子)

【第1特集】のだめカンタービレ(全60ページ)

  上野樹里(野田 恵 役)グラビア&インタビュー
   「『ムキャ』とか、『ギャボ』とか、
   犬が叩かれて『ぎゃん』という感じに近い(笑)」

  玉木 宏(千秋真一 役)グラビア&インタビュー
   「千秋の形をイメージして、
   手の先までキレがあるようにしました」

  描き下ろし『ちあきカンタービレ』(おおひなたごう)
  のだめ大辞典
  アニメ版ヒストリー
  カサヰケンイチ(アニメ版 監督)インタビュー
  SUEMITSU & THE SUEMITH(アニメ版 主題歌)インタビュー
  福田里香のまんがキッチン〜のだめ編〜
  オアシズ大久保のピアノ体験教室……ほか

【緊急対談】二ノ宮知子(『のだめカンタービレ』)
           ×
         石川雅之(『もやしもん』)

   「会ってみて『もやしもん』の主人公の雰囲気に
   似てるなって思いました」(二ノ宮)

   「とにかく飲む人だって聞いたんで、
   体調を整えて行ったんですよね」(石川)

DVDが上野樹里さんの誕生日5月25日に発売になります。のだめ人気はまたここで盛り上がりそうです。

ちなみに上記の引用は《太田出版web》に記載されているものからですが、『CONTINUE』のVol.28(2006年6月)とVol.31(2006年12月)の表紙はともに蒼井優さんだったのですね^^
 
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2007年05月15日

『雪の女王』アンデルセン+エドマンド・デュラック

アンデルセン童話を意識的に読んだのは、高校の頃好きだった『絵のない絵本』くらいです。先週から地上波でスタートした韓国ドラマ【雪の女王】、ストーリーはどんな展開を見せるのかは知りませんが、予習(?)のつもりで『雪の女王』を連休中に読みました。

デュラックが挿し絵を描いているというので、こちらを借りました。

dulac07051501.jpg

アンデルセン, 荒俣 宏, エドマンド・デュラック
雪の女王 アンデルセン童話集(1)


お話もさっと読んだだけですが、童話ならではの展開と深みがあっておもしろかったです。やはりデュラックの絵、いいですねぇ。

この絵を見ていて、ぼくもご多分に洩れず大好きなアーサー・ラッカムの作品もまた手にとりたくなりました。

デュラックの‘雪の女王’
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2007年03月27日

三木 卓「椿油の瓶」

三木さんの本を実はこれまで手にしたことはないのですが、もう10数年前に新聞で読んだエッセイがあまりに素晴らしく、当時専用ワープロに入力したことがありました。

先日部屋の片づけをしていた折り、その写しがひょいと出てきました。1993年3月30日、読売新聞・夕刊に掲載されたそのエッセイは、「椿油の瓶」。今読み直しても“名文”であることに変わりありません。

おそらく下記の書籍に収録されていると思うので、手にとってみようと思っています。


 
三木 卓「椿油の瓶」より
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2007年03月22日

ソン・イェジン、韓国人気No.1女性誌『女性中央』初の ‘韓国・アメリカ・日本版同時モデル’

韓国で最も人気のある女性誌が『女性中央』といって、日本でも発売されていることを知りました。参考:2005/12/5付け記事《ついに創刊!韓国人気No.1女性誌、日本上陸!「女性中央 1月情報号(創刊号)」12月7日発売!

アメリカ版もでているそうですが、今度発売される4月号はイェジンさんが表紙。それも3ヶ国同時に同じモデルというのは今回のイェジンさんが初めてのようです!

ソン・イェジン、『女性中央』はじめて‘韓国・アメリカ・日本版同時モデル’

iejin070322.jpg


韓国で3年連続購読率 1位を堅持している『女性中央』が、4月号から『プレミアム女性中央』と新しく名前を変えて、プレミアム級女性誌として生まれかわる。

リニューアル第1号の表紙モデルはトップスター、ソン・イェジン。現在我が国の雑誌では唯一、韓国・アメリカ・日本の3ヶ国で発売されている『女性中央』の最初の 3ヶ国版同時モデルになった。これまで日本の主読者層を考慮して、日本版だけはソン・スンホン、ソ・ジソプ、リュ・シオンなど男性トップスターを表紙モデルとしてきたことを考慮するなら、今回の表紙モデルは破格的と言える。

自分の映画が封切られても、ファッション写真集はもちろん、インタビューさえあまり応じてこなかったソン・イェジンにとっても、今回の試みは特別だ。表紙だけではなく、本文中ファッション写真集が10ページにもわたる撮影は、『女性中央』のクリエィティブディレクターになった写真家チュ・セヨンさんと、ファッションデザイナーのチ・ジュンフィさんとがおこなった。

表紙と写真の衣装を担当したチ・ジュンフィは、「服を自分のものとする本当に良い体つき」と、モデルに対する満足感をあらわした。適度に女性らしいボリューム感があり、しかも体つきのバランスが見事だという。どんな衣装も着こなせるのは、特に腕と足が長い体型だからだとも。いちばんソン・イェジンらしい表情をうまくひきだすことで有名な写真家チュ・セヨンの今回の写真集は、女優ソン・イェジンよりもふだんのソン・イェジンの様々な姿が写し出されている。ソン・イェジンが表紙モデルとなった『女性中央 4月号』は3月23日発売される予定だ。

ファンには必携の一冊といえそうですね^^

『女性中央』 in Amazon
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2006年12月27日

松岡 正剛『日本という方法―おもかげ・うつろいの文化』

まさに博覧強記の松岡正剛さんによる、日本文化思想史といった趣の本です。


日本を「方法の国」として考える日本論。史書の編纂から日記、短歌、また政治・経済のシステムや、書くこと話すこと、生きることそのものまでを編集行為として捉え、日本を日本ならしめている「日本的編集方法」を探る。

「日本という方法」をあぶり出すという視座から、日本の古代から現代まで語りつくされています。“NHK人間講座”が原本になっているせいか、凝縮された内容でありながら平易な語り口で書かれているので飽きることがありません。

最近関心をもっていることがらや人物が数多く取り上げられていたのも、ぼくにはよかったです。

特に ―
第7章 徳川社会と日本モデル
第8章 朱子学・陽明学・日本儒学
第9章 古学と国学の挑戦

このあたりは、勉強になりました。
 

posted by sakae at 23:40 | Comment(2) | TrackBack(0) |

2006年12月24日

柳 宗悦『朝鮮を想う』

記事にするタイミングを失ってしまいましたが、先月駒場東大前にある《日本民藝館》を訪れました。

20日まで開催されていた『日本民藝館創設70周年記念特別展 柳宗悦と朝鮮民画』を観てきたのですが、まず日本民藝館のたたずまいとその内部が素晴らしく、関連する本を何冊か眺めているうちに、肝心の展覧会が終わってしまい記事にできなかったというわけです^^;

柳宗悦(やなぎ・むねよし 1889〜1961)については「日本民芸運動の祖」程度の知識しかなかったのですが、「その源流に、朝鮮の民芸の美との出会いがあった」(高崎宗司)ことを知りました。

柳 宗悦『朝鮮を想う』(高崎 宗司編・筑摩叢書293/1984)を図書館から借りて、例によって“ぱらぱら読み”をしました。

高崎さんの解説から ―

浅川伯教(のりたか)は、1913年、朝鮮の美術に魅かれて朝鮮に渡り、小学校の先生をしながら朝鮮陶磁器の研究に志していた。その浅川伯教が1914年秋に、李朝染付秋草面取壺を手みやげに柳を訪ねたことが、1916年8月の柳の初めての朝鮮・中国旅行につながった。

そして、その旅が伯教の弟・巧(たくみ)と知り合い終生の友となる契機となった。朝鮮を愛し、朝鮮の民芸を愛した浅川巧の「家に泊めてもらった時から朝鮮の民芸の美へ大きく目を開いた」ことは、柳にとって幸運な朝鮮との出会いであったといわねばならない。

注目すべきは、当時はまさに朝鮮は日本の支配下にあったという時代背景です。「柳には、もっぱら朝鮮の芸術の素晴らしさについて書いた文章、換言すれば、朝鮮の政治的・社会的現実には直接触れていない文章と、「朝鮮人を想う」のようないくつかの時務的な文章」とがあって、柳自身がそのことについて、「第一には朝鮮問題に対する公憤と、第二にはその芸術に対する思慕」があったと記しています。

このため柳の書いた文章のなかには、「当局」から睨まれ大量の伏せ字を余儀なくされるものもありました。それでも、「柳は、東京から釜山(プサン)まで行くのに二日もかかった1920年代に、現在確認されているだけでも14回、朝鮮を訪れ」ます。そして ―
柳宗悦は二つの計画を立てた。一つは朝鮮芸術史を書くことであり、もう一つは朝鮮民族美術館を設立することである。

柳は、1921年1月号の『白樺』に、「『朝鮮民族美術館』の設立に就いて」を発表し、朝鮮民族美術館を東京にではなく京城の地に設立する計画を明らかにした。「特にその民族とその自然とに、密接な関係を持つ朝鮮の作品は、永く朝鮮の人びとの間に置かれねばならぬと思う。その地に生まれ出たものは、その地に帰るのが自然であろう」と考えたためである。

そして、1924年4月9日、朝鮮民族美術館は京城の旧王宮・景福宮内の小建築物・緝(シュウ)慶堂内に開設された。

(1945年の日本の敗戦=朝鮮の独立に伴い、朝鮮民族美術館は、韓国国立民族博物館に吸収され、その後、国立中央博物館に再吸収された。)

引用文中の「京城」とはソウルのことで、Wikipedia によると ―

「京城」(日本語読みで「けいじょう」(歴史的仮名遣では「けいじやう」)、朝鮮語(韓国語)読みで「キョンソン」。)は日本統治時代(1910年 - 1945年)に使われた名称。1910年9月30日に施行された朝鮮総督府地方官官制に基づいてそれまでの「漢城府」から「京城府」となった(「府」は日本内地でいうところの「市」に相当)。実際には 1945年以降も数年間使われている。このことから現在の韓国では、日本によって強制的に変えさせられたとの認識が一般的で有り、差別用語と主張されることもある。一方で、一部の商店や企業名など(京城紡績、現在の京紡)には今なお「キョンソン」の名称が残っている。

そして「景福宮」はご存知『らぶきょん〜LOVE in 景福宮』、【宮(クン)】の舞台でもあります^^
 
幾重にも歴史が折り畳まれています。

posted by sakae at 02:10 | Comment(3) | TrackBack(0) |

“ともだち”が仕掛けた最後の罠!? ― いよいよ明日【20世紀少年】最終章連載開始!

12月25日発売『ビッグコミック スピリッツ』予告》によると…いよいよ次号、

本格科学冒険漫画は巻頭カラーで驚愕の最終章へ…!!


『スピリッツ』買おうか迷ってます^^;
 
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2006年12月13日

2006韓国で最も読まれたマンガは?

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2006年に最も愛された本 より ―

【少女マンガ部門】


☆第1位 1213goong.gif
パク・ソヒ, 佐島 顕子
らぶきょん〜LOVE in 景福宮 1

☆第2位 1213eigoSchoolWars.gif

☆第3位 1213hachikuro.gif

第1位は『宮(クン)』!もともとの人気と、やはりドラマの力が大きかったようですね。今年の初めにドラマ化されてまさに相乗効果で、マンガも年間ベストセラー第1位となったようです。

あとはみな日本のマンガだということもちょっと驚きです。『ハチクロ』はアニメが放映されたようで、その人気とともに原作の部数も伸びたのだそうです。

そうした背景があって映画【ハチミツとクローバー】も来年1月11日韓国で公開されるのですね。

【青年マンガ部門】


☆第1位&第2位 1213kaminoShizuku.gif
オキモト シュウ, 亜樹 直
神の雫 1 (1)

☆第3位 1213nodame.gif

☆第3位 1213master.gif
勝鹿 北星, 浦沢 直樹
MASTERキートン (1)

“のだめ”人気は韓国でもおこっているのですね!…ということは、ドラマやアニメも放映されるのかな?

日本のマンガは韓国の若者文化の中にすっかり浸透している感じです^^
 
映画【ハチミツとクローバー】韓国版ポスター
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2006年12月09日

漢字とハングル(諺文・オンモン)<承前>

前の《“なぜ漢字から朝鮮に適した文字は生まれなかったのか?” ― 朝鮮の諺文(オンモン)》の続きです。

朝鮮は、日本のように漢字を“母国語化”したり、漢字から“仮名”を生み出すようなことはありませんでした。今回も、大島正二さんの『漢字伝来』から ―

そして李氏朝鮮のときに大英断のもと、国字として新たに〈諺文(オンモン)〉(いま、ハングルと呼ぶ。)が創られたのであった。

ハングルが発明された李氏朝鮮の前の王朝であった高麗(こうらい)のときに、朝鮮はモンゴルの支配下におかれ、モンゴルから直接的な影響を受けた。モンゴルは、(…)ウイグル文字から造ったウイグル系文字とパスパ文字の二つの文字を造ったが、これらはいずれもセム起源のアルファベット、つまり一字一音素の単音文字から発したものである。朝鮮はモンゴルを媒介としてこの単音文字の原理を知った。そして、ハングルの特徴である音節単位は漢字がモデルとなった。文化史的にみてきわめて自然である。
(p.151)

ハングルはアルファベットのようでいて、“漢字語”をみれば漢字のようでもあるという印象は、まさに“二つの文字原理”をうちに含んでいたからなのですね。

このようなハングルがどのような過程で考案されたかは記録としてのこっていない。ただ、その字形が他の文字の借用ではなく、まったく独創によるものであり、その考案の過程には朝鮮語音の精密な観察があったこと、その製字にあたっては中国音韻学の体系が十分に参考とされていることは明らかである。

ハングル入門書でかならずお目にかかる「反切表」の“カ・ナ・ダ・ラ…”は、中国語と深いつながりがあるということでしょうか。まさに当時の叡知を結集して独自の文字をつくりだしたということが分ります。

しかし、このハングルという文字は、誕生のときからすでに暗い運命をせおっていた。そもそも、朝鮮で漢字以外の文字が生まれることなど思いもよらぬことであった。

ハングルが創られたとき、当時のそうそうたる学者は猛烈に反対した。

その理由の一つは、中国文化に対するあこがれと、明の宮廷に対する遠慮から、新しい文字を創るなどは中国文化からの逸脱であり、中国政府の機嫌をそこねる恐れがあること、もう一つの理由は、新しく別に文字を創らなくても、〈吏読〉を使えばよいではないか、ということであった。世宗は反対をおしきってハングルの公布にふみきった。創られてから三年もたった世宗28年(1446)のことである。

世宗が亡くなってから、その子の世祖も父の遺志をつぎ、ハングルによる数々の仏典の翻訳を刊行するなどして、しだいに国字として定着するかにみえたが、やがて反動がおこり、ハングルは女性のあいだだけで用いられ、また啓蒙的なものや外国語の教育などに使われることがほとんどだった。

上に言う〈吏読〉とは、漢文で書かれた本文に朝鮮語の助詞や助動詞にあたる漢字を加えたものだそうです。そうした点においては朝鮮語と日本語はよく似ているように感じます。

ハングルに対する冷遇はその後ながくつづいた。そしてこの文字が朝鮮民族の文字として陽の目をみるのは、第二次世界大戦が終わって日本の植民地から解放されてからのことである。

ハングルの歴史は、朝鮮の歴史を物語っているのですね。

前回の記事で引用させていただいた“ちょん・ひょんしる”さんの訳が掲載されている《ふくかんねっと》に、《漢字とハングル》という記事が掲載されています。

現代の韓国における「漢字とハングルの関係」が垣間見えて興味深い内容でした。
 
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2006年12月01日

“なぜ漢字から朝鮮に適した文字は生まれなかったのか?” ― 朝鮮の諺文(オンモン)

「地理的関係から、また歴史的関係からも中国文化との接触はかなり古くからあった」朝鮮では、当然漢字が日本と同じようにその基盤だったろうことは容易に想像がつきます。それが今やハングル一色であるのはなぜなのか、という思いをずっと抱いています。

少し前にとりあげた、大島正二さんの『漢字伝来』を読み進めて、そのことに関する興味深い記述にであいました。まずは、古代朝鮮における漢字の受容から ―

新羅はやがて唐とむすんで百済と高句麗を攻略し、七世紀にいたり、朝鮮半島ではじめて統一国家を樹立した。新羅は中国的教養を身につけるため中国文化の吸収にひたすら力をつくし、その結果、中国文化は朝鮮半島に深く根づき、漢字・漢文の知識も深まっていった。

新羅から高麗へと時代がうつるにつれて漢字はますます浸透していった。高麗の光宗のときには国家の記録は漢文で書かれ、文学も漢詩・漢文を上層の知識人が読み、作るものとなるほどであった。中国の文物・学問は朝鮮における教養の根本だったのである。

一方、中国大陸ではモンゴル族の元帝国がたおれ、明がおこって漢民族の国家がふたたび生まれた。これと符合するように、高麗のあとをうけた李朝(1392年建国)の世になると中国化はますます進み、漢字・漢文を大事にまもり、中国文化に心酔した。それは、みずから〈小中華〉と呼ぶほどであったという。

しかし、そこには宿命的ともいえる、思わぬ障害がまちうけていた。みずから〈小中華〉と呼んでひたすら中国化に努めた朝鮮も、漢字の受けいれと文字の問題は思うようにならなかった。あれほど崇めた漢字から朝鮮に適した文字を造りだすことは、ついになかったのである。それは何故であろうか。
(p.149)

その最大の理由は、朝鮮語の“音”のしくみにあったと大島さんは述べられています。逆に日本が漢字を自国のものとしえたのも、日本語の“音”のしくみが可能にさせたというわけです。

ここで日本語と中国語の“音”のしくみの違いについて ―

日本語の音節は〈開音節〉、すなわち、音節はかならず母音でおわる特徴をもっている(子音・母音・子音・母音…)。ところが中国語では〈開音節〉(子音・母音)の語もあれば、〈閉音節〉、つまり子音でおわる音節〈子音・母音・子音〉の語もある。

そこで彼ら(古代の日本人)がとった方法は、一般的には、中国語の〈閉音節〉の末尾の子音を切りはなし、それに支えの母音(寄生母音) i あるいは u をそえて、子音・母音―子音・母音と二音節にすることであった。こうすれば日本語の〈開音節〉構造に適合するわけである。
(p.50〜51)

それにたいして朝鮮語には中国と同じように〈閉音節〉の単語や、「bs/gs/rb のような二重末子音」があります。これは、ぼくのようなハングル初級者にも分ります。なんといっても“パッチム”に苦しめられていますから^^;

朝鮮語のもつこの音節構造のすべてにあてはまるような漢字を見つけることが困難であったために、「日本のように、漢字を“母国語化”し、さらに仮名のように漢字を改造した文字を生み出すことはついになかった」という指摘は得心できました。

このことが、後の世宗25年(1443)に“ハングル”が創られる背景としてあったわけですが、事は簡単には進まなかったそうです。…

それについては、また次回。
 
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2006年11月22日

大島正二『漢字伝来』(岩波新書)

漢文の基礎をやり直そうかなと思っていたところ、もとの“漢字”そのものについての格好の新書がありました。

大島 正二
漢字伝来


読みはじめたばかりですが、自分の中途半端な知識が整理補強されるだけでなく、はじめて知ることもたくさんです。ふだん使っているからといって、その来歴について知っているわけではないことを再認識しています。

なかでも“千字文”についてはもっと詳しく知りたいと思っています。書道をたしなんでいる方にとってはもちろん、多くの人にとって常識なのかもしれませんが^^;

「天地玄黄(てんちげんこう)宇宙洪荒(うちゅうこうこう)」(天の色は黒く、地の色は黄色であり、空間や時間は広大で、茫漠としている)ではじまる『千字文』は、四言(四字句)の韻文でつづられた一千字が集められていて、久しいあいだ中国の(のちには朝鮮や日本でも)児童たちが漢字を学ぶテキストとしてもちいられてきたことで知られている。

『千字文』を識字のテキストとしてみるならば、すでに指摘されているように、そこにおさめられている一千字は十分ではない。数字でも一から十までのうち、一・三・六・七が欠けている。方位を示す字として「東・西・南」はあるが「北」がない。四季を示す「夏・秋・冬」はあるが「春」がない。「海・川」はあるが「山」がない。このように必要と思われる実用字が欠けていて不完全なものと言わざるをえない。

にもかかわらず、この書はだんだんと広まっていった。

その理由は、小川環樹も指摘するように、なによりも用字が多方面にわたっているうえに、故事、古人の逸話などをよみこんだ美文であり、韻をふんでいるので朗読し暗記するのに適した読本であったからであろう。
(p.25〜27 一部省略)

『千字文』も岩波からでています。

小川 環樹, 木田 章義
千字文


この本についても、松岡正剛さんの解説を読むことができます。
→《松岡正剛の千夜千冊『千字文』周興嗣

『20世紀少年22巻』と【或る街の群青】と一緒の発送になるので、Amazonから届くのは12月にはいってから。すぐに来ないというのも、なかなか楽しいです^^
 
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2006年11月15日

“花と華” ― 『形の文化誌』

三浦梅園》に関する本を、とてもゆっくりですが読み始めています。出原立子(いずはら・りつこ)さんの「哲学的思考の図的表現 ― 三浦梅園の図を中心に」という文章が掲載されているということで、『形の文化誌 6』を借りてきたのですが、ほかにも三浦梅園とは直接つながりはなくても刺激的な論文が並んでいます。


形の文化会『形の文化誌』編集委員会
花と華


目次》をご覧いただくだけでもその一端がわかると思いますが、たとえば宮崎興二さんの「伏羲と女カと三+五=八」 ―

中国に紀元前から伝わる伝説によると、中国大陸はいうに及ばず、宇宙すべてを最初につくったのは、天や円や陽を象徴する男神の伏羲(ふっき)と、その妻で地や正方形や陰を象徴する女神の女カ(じょか)だった。だから宇宙のことを天円地方という。

たとえば天円地方としての宇宙のでき方を決めた八卦は、竜と亀の背中に描いてあった河図と洛書という図をもとに、伏羲によって考えられたらしい。

河図は一から九までの数字を中央の五だけ二回繰り返して木火土金水の五行に配当した図表、洛書は一から九までの数字を縦横斜めのどの方向に足しても十五になるように三×三に並べた三方陣という世界最古の魔方陣を見せる。三方陣+五行=八卦なのである。三月三日や五月五日を考え合わせると三方陣は女性的、五行は男性的で、陰+陽=八卦ともいえる。

これほどの陰陽八卦が弥生時代の日本に入ってきたのは当然で、かの卑弥呼もコンパス風の丸い鏡と定規風の直線状の剣に守られながら、この陰陽道を使って邪馬台国を治めたらしい。だからこそ陰としての正方形と陽としての円が前後に並ぶ前方後円墳が、直線と円弧だらけの直弧紋で飾り立てられながら、当時のわが国で大流行したのは当然である。

聖徳太子も陰陽道を積極的に政治に取り入れたといわれ、自ら創建した法隆寺では、陰と陽としての五重塔と金堂が左右に並べられ、その中間に八紘一宇としての八角形に広がる宇宙を象る八角の夢殿が置かれた。陰+陽=八角である。

このあと話題は「イザナギとイザナミ」「安倍清明と芦屋道満」「空海と最澄」とつづきます。いずれも「三+五=八、いいかえると陰+陽=八、正方形+円=八という式を使って世の中を牛耳ったことになる」と結論付けています。

この“文化”に“公式”をあてはめるという発想は、三浦梅園の思考とどこかしらつながるような気もします。それについてはまた改めて。

また特集が「花と華」とあるように、文化の中の花が様々な視点から考察されていて、興味深いです。ひとつだけあげると ―

唐草模様は、日本人にとってエキゾチックすぎて直接には受け入れがたいと感じた植物、さらには、あまり身近に感じられない植物を受け入れ意匠化するための、ひとつの「手だて」ではなかったのだろうか
長崎 巌「染織における植物模様」

花を愛でられる方にはおすすめいたします^^

 
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2006年11月06日

三浦梅園(1723〜1789)『自然哲学論集』

先日知人が見せてくれた、新聞の切り抜きらしきものに書かれていた言葉がとても印象的でした。

うろ覚えですが、“枯れ木に花が咲くと人は驚くけれども、むしろ普通の木に花が咲くことをこそ驚くべきだ”というような言葉が書かれてありました。

そう語ったのは江戸時代の思想家、三浦梅園。ちょうど興味を抱きつつある江戸の思想家ということで、さっそく図書館に入門書を予約しておきました。この前の日曜日に届いたのが、小川 晴久『三浦梅園の世界―空間論と自然哲学』
ですが、例によって“ちょこっと読み”の段階で、三浦梅園というのはすごい哲学者だと俄然興味を抱いています。

先ほどの切り抜きは、梅園の「多賀墨卿君にこたふる書」の中の一文 ―

枯れ木に花咲きたりというとも、

先ず生木に花さく故をたずぬべし。

ネットを検索すると、これまたすごいサイトがヒットしました。



上記サイトで《「多賀墨卿君にこたふる書」》を解説つきで読めるだけでなく、梅園の主著『玄語』も電子テキストで公開されています。

梅園の著書は文庫でも読むことができるので、注文しました。

三浦 梅園(著), 尾形 純男, 島田 虔次
三浦梅園自然哲学論集


さらに興味を引かれたのが、“三浦梅園研究所”でも公開している梅園の思考そのものであるあまたの図です。

baien.gif


幾何学的思考とでもいうのか、なんだか眺めているだけで楽しくなってきます。

難解といわれる梅園の思想ですが、先に引用したような“ことば”にひとつでも多く出会えればと思っています。
 


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2006年11月01日

A・NO・YO

Amazonの売れ筋を見ていたら、只今51位!


タイトルがすごい…と思ったら、江原 啓之さんの対談集という感じなのでしょうか。
茂木健一郎さんとのスペシャル対談「脳とスピリチュアル」なんてのもあります。
 
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2006年10月30日

韓国語・初級者の歩く道

毎週ネットで韓国ドラマ【ファン・ジニ】をただぼーっと見るようになって、やっぱり韓国語少しだけでもわかったらなぁという思いを抱いています^^

すこし前に、AmazonがMP3プレーヤーを2,980円という安さで扱っていたので思わず購入してしまったのも、韓国語学習に活用できるかもという直感(?)があったからでした。

かつて学んだ“学校英語”のやり方では、強制もなければ切迫した必要性もないので韓国語を修得はできそうにありません。

それに暴言かもしれませんが、韓国語はハングル(文字)から入ってはだめなんじゃないかという気になっているのです。

日本語のひらがなと違って、ハングル文字と音との関係は1対1ではありません。もちろんひらがなにも「は」とか「へ」の例外はありますが、ハングル文字の読み方は、初心者にはいく通りもあるという印象のほうが強いのではないでしょうか。

平音が「母音にはさまれたとき」や「鼻音・流音パッチムの後に来るとき」は【濁音化】するというルールを適用するだけでも一苦労です。

そもそも赤ちゃんが母国語を修得するさい、音声を聞くことからはじめるのであって文字の修得はずっと後のことです。

すくなくともハングル文字を「読む」こと以上に「聞く」ことに力点を置いたほうが、自然に入ってくると思います。

そこで購入した学習書がこちら↓



決め手は付録の2枚組みCDです。最近英語の学習書でも目にするようになった【日本語同時録音】 ― これなら繰り返し聴き続けることができるんじゃないかと…。

ドラマを観ていて、知っているフレーズが増えればなぁと思っています。

タイミングよく、図書館からこちらは「読む」のに格好の本が届きました。(予約したときはそんなつもりじゃなかったのですが^^;)


奥付を見ると“韓国SCREEN M&B社の『SCREEN(2005年4月号)』の付録を翻訳出版したものです”とあります。

付録が一冊の本になる!とちょっと驚いたのですが、そういえば…と以前1度だけこの雑誌を購入したことがあったのを思い出しました。本棚をあれこれ探してみるとありました“付録” ― 2004年3月号別冊『Korean movie stars』。当たり前ですが、ハングル表記なので当時写真をぺらぺら見て終わったのですが、それは今も変わりませんが知っている役者さんの数だけは確実に増えておりました。ハイ^^

韓国ドラマを字幕なしで観るなんてことは夢のようですが、立派な(?)初級者くらいにはならないと、ですね!
 



ぼくが購入したのは“青”ですが、ちょっと見たら2倍近い値段になってました。↑も値段が変わるかもしれません。

オマケ
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2006年10月28日

『古事記』ふたたび

中山千夏さんが担当した、朝日新聞の日曜日のコラム《たいせつな本》より ―
本に書き込みする習慣が私にはない。ところが、たった2冊だけ、盛大に書き込みした本がある。常軌を逸して活用した証拠だ。私にとってよほど大切な本に違いない。

盛大に書き込みがある本のもう一冊は、これ。古事記を読んでみたい、と思った。それもいきなり原文で。八〇年代の末頃だ。理由を聞かれると「本邦最古の文書を見てみたかった」「政治的に悪用された歴史を持つものだけに、見極めておきたかった」などと答えているけれども、さほど力んだわけではない。

以前、このコラムで“きたやまおさむ”さんも「たいせつな本」として『古事記』をあげられていました。

きたやまさんが1946年生まれなら、中山さんは1948年。団塊世代のおふたりが、くしくも『古事記』をあげられているのは興味深いです。

北山修作詞・杉田二郎作曲のあまりにも有名な【戦争を知らない子供たち】(1971)の歌詞がふと思い浮かびます。

戦争が終わって 僕等は生れた
戦争を知らずに 僕等は育った


戦後教育というか、ぼくは学校で『古事記』を教えられたという記憶はありません。それでもまわりの大人たちからその断片をお話しとして聞き、鮮明に覚えている個所もいくつかあります。

学校でとりあげるのはむずかしいのかもしれませんが、絵本や物語としてもっと見直されてもよいように思います。

月刊誌『歴史読本』(新人物往来社)は 2006年 9月号10月号と続けて、『古事記』を特集しています。

【ファン・ジニ】の第3弾ポスターを見て、おもわずその9月号の口絵に掲載された【木華開耶媛】を連想してしまいました^^

 

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2006年10月22日

“善意が起こす「革命」はタチが悪い!” ― 小島 毅『近代日本の陽明学』

少し前の読売新聞の書評《浮薄な「伝統」礼賛を批判》や、朝日新聞の書評《持ち込まれた変革の思想の系脈をたどる》でもとりあげられていたので、手に取られた方もいらっしゃると思います。



まずは苅部直さんの読売書評から ―
新渡戸の言説の背景には、心情の純粋さを日本の国民性として謳(うた)いあげる、日清・日露戦争のころの知識人の傾向がある。そうした「純粋動機主義」の称揚が、徳川時代の陽明学から、明治の知識人による陽明学礼賛をへて、昭和のマルクス主義者や三島由紀夫に至るまで、連綿とした系譜をなしてきた。これに対して小島毅の近著は、中国思想研究の見識にもとづいて、動機さえ純粋であればどんな行為も許してしまう態度の危うさを批判する。その病は、「心の問題」と口にしながら靖国神社へ参拝してしまう総理大臣にも、及んでいるのである。

野口武彦さんの朝日書評から ―
著者の見るところ、日本陽明学の特色は「純粋動機主義」にある。動機が正しければあまり政治的結果を問わない《動機オーライ主義》といってよい。幕末維新の峠を越えた陽明学は、一回的な思想史上の役割を終了せず、この形質を優性遺伝子として保存させながら、多種多様な思想と習合して、一貫してしぶとく生き延びる。

ともに指摘されている「純粋動機主義」=「動機さえ純粋であればどんな行為も許してしまう態度」という言葉に惹かれ、図書館に予約をいれておきました。

著者小島さんの歯切れのよい文章にぐんぐん引き込まれ、陽明学を中心に据えた“近代日本思想史”として興味深く読了しました。

本論は6つのエピソードから構成され、画像の掲載されている人物だけですが掲げると ―
大塩中斎・山崎闇斎・頼山陽
エピソードI 大塩中斎 ― やむにやまれぬ反乱者

藤田東湖・徳川光圀・吉田松陰
エピソードII 国体論の誕生 ― 水戸から長州へ

河井継之助・三宅雪嶺・内村鑑三・新渡戸稲造
エピソードIII 御一新のあと ― 敗者たちの陽明学

井上哲次郎・浮田和民・中江兆民・幸徳秋水・山川均
エビソードIV 帝国を支えるもの ― カント・武士道・陽明学

安岡正篤・宇垣一成・大川周明・吉川英治
エピソードV 日本精神 ― 観念の暴走

山川菊栄・三島由紀夫
エピソードVI 闘う女、散る男 ― 水戸の残照

おもしろい箇所がたくさんあるのですが、1箇所だけ引用します。“陽明学をキリスト教にした男”より([]は引用者注) ―
そこ[内村鑑三『余は如何にして基督教徒となりしか』]で語られている幼年時代に受けた教育は、彼と同時代の日本人に共通のものであった。すなわち儒教式教育である。内村の父は西郷[隆盛]の同世代人、つまりは「天保老人」(福沢諭吉の表現)であり、武士として儒学の素養を持ち、息子にみずから経書の手ほどきをした。

だが、内村少年はそれに反抗してキリスト教に転向したわけではない。彼は言う、「これら儒教の教訓は、多くの自称キリスト教徒たちに授けられ、また抱かれている教訓に比べて、少しも劣るものではないと、私は確信している」と。彼にとって、キリスト教信仰を持ってからも、この幼児の底訓は貴重は経験として尊重され実践されていた。

ある研究者はこう述べる。「ところで私は信徒ではないから不当な涜言をするかもしれないが、彼のこの回心は異教徒からクリスチャンへの抜本的な切り換えではなかったのである。それは生来いわば武士道的儒教主義で育てられた少年が、この教義を否定することなく、その延長の上にそれよりもっと完璧な体系で『義』というものが存在することを知った喜びなのである」と。

自分自身がキリスト教徒である研究者の場合には、この点が見えにくいのかもしれない。彼らにとって、儒教は「封建道徳」として打倒目標となっており、自分たちの先達(せんだつ)である内村が儒教精神から脱していたことは自明の前提になっている。だが、そうした人たちを含めて、日本のキリスト教徒の心性には共通して儒教的色彩が濃厚である。というよりも、内村父子の場合に典型的であるように、真摯(しんし)な儒教徒ほど熱心なキリスト教徒になっていく。
(p.79〜81)

この本を読んで、日本の儒教についてもう少し知りたいなと思っています。

余談;
以前から気になっているのですが、韓国の特に映画やドラマでは“初恋”が、なんというか絶対視されているようなところがあります。そのこだわりは“儒教的な考え”とどこか関連があるのかしらん。
 
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2006年10月20日

1位から17位まで、2位をのぞいて全部『のだめ』なのだ! ― Amazon Best Seller

録画しただけで、まだ視聴できていない【のだめカンタービレ】。好評なのは伝え聞いていましたが、先ほどAmazonをチェックしてびっくり!

2位の『魔法先生ネギま! 16巻 限定版』をのぞくと、1位から17位までぜーんぶ『のだめカンタービレ』ではありませんか!!

テレビの力って大きいってことあらためて思います^^



のだめオーケストラ
「のだめオーケストラ」LIVE!

こちらのCDも上位を狙ってますね!


 



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2006年10月04日

浦沢直樹『20世紀少年 22』Amazonにて予約受付開始!

コメントしたように、22巻の発売が11月30日(木)に確定しましたが、Amazonでもすでに予約受け付けていました。

浦沢 直樹
20世紀少年 22―本格科学冒険漫画 (22)

みなさん本当に待ちに待った刊行ですね!


関連記事:《浦沢直樹『20世紀少年』22巻の発刊はいつ?
 

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2006年09月06日

“進化”する機能 ― 【脳・知る技/使う心】

いつだったかすでに記憶にないのですが、池谷裕二(いけがや・ゆうじ)さんを先生役に、糸井重里さんが聞き役の対話集を読んだことがあります。たくさんの知見に満ち、かつとても分かりやすかったという印象が残っていますが、文庫にもなっています。

池谷 裕二, 糸井 重里
海馬―脳は疲れない

この本をなぜ思い出したのかといえば、今週月曜日の日経新聞に掲載されたコラム【脳・知る技/使う心】のなかで、池谷さんの最近の研究が紹介されていたからです。

池谷らの研究グループは最近、マウスの大脳の神経回路網に信号が流れる様子を生きたまま動画でとらえることに成功した。神経細胞に信号が発生すると光る仕組みで、クリスマスツリーのようにきらきらと輝くのを顕微鏡で観察した。

分析の結果、神経回路は信号を受けなくても明滅し、光の分布パターンが約41秒ごとにがらりと変わることがわかった。この変化は外から信号を与えても起こせた。

変化がアイデアを生む働きに関係しているのではと考え、モニターで大量の信号を与え続ける実験をしているわけだ。

「光の分布パターンが約41秒ごとにがらりと変わる」…つまり、神経回路網が大きく変化し続けることで、脳の機能の柔軟さは維持されているのだそうです。

斬新なアイデアも深い思索も、100億個以上の神経細胞が、10兆ヶ所ともいわれるシナプス(結合部分)を介して様々な回路を形成することから生まれる…その解明に取り組んでいるのですね。

同コラムには、それに関連してもうひとつおもしろい指摘がなされています。

脳の進化を研究している東大大学院情報学環助教授の佐倉統は「基本的な機能のようにみえる文字を書く能力ですら、案外変わりやすいのかもしれない』と指摘する。

人類が音声による言語を獲得してから数十万年の歴史があり、脳が音声言語を処理する部分は人類共通。

一方、文字の発明は数千年前。アルファベットのような表音文字と漢字のような表意文字では脳が処理する部分が異なるように、進化の流れの中で文字に関する脳の機能は固まっておらず、まだ無理をして処理しているという説だ。

文章をパソコンで書くようになると漢字をすぐ忘れるのもこのためとみる。

読み書き、すなわち「文字」中心の日本の英語教育が、なかなかその成果をあげられないのも、こうした“人類(=脳)の歴史的背景”が関係しているのかもしれません。

牽強付会ですが、朝鮮語学習もハングル文字より音声重視の方がやっぱりいいかもデス^^

そして、使わないと忘れる…だから使うように、というのは誰しも思うことですが…

コンピューターなど外付け脳に仕事を移せば、生身の脳はその機能を捨ててしまう。

「自身がつくり上げた人工の環境に合わせて脳は巧みに適応している」(佐倉)のかもしれない。

たとえば、携帯電話の普及で“電話番号”を記憶しておく必要はなくなりましたが、それを記憶力の退化ととらえるのではなく、「脳の役割はアイデアを創造し、思索を巡らすことに専門化しつつある」(池谷)という風に考えるなら、これはもしかして“脳の新たな進化”ということになるのかもしれません。

池谷さんの2年ぶりの新刊が、明日発売になるようです。


 

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2006年08月31日

急速な少子化現象 ― 韓国女性の合計特殊出生率は世界最低

韓国ドラマや映画をいくつか観ていると、そこに描かれる女性像にも関心は及びます。また、12月に日本でも公開されると聞くドラマ【恋愛時代】について何回か触れましたが、女性を取り巻く現代の韓国社会状況にも、まだ僅かですが興味を抱いています。

こうした折、例によって日曜版新聞各紙の書評で取り上げられた本で、目を引いたのが ―



朝日新聞書評欄》で、小林良彰・慶應大学教授は次のように書かれています。

同書によれば、まず70年代までの朴正熙大統領下における強力な人口増加抑制政策により出生率が減り始めると、少ない子どもに教育費をかけるようになり、大学進学率が男女ともに8割を超えるようになった。

このため大卒がエリートではなくなり、4年制大卒女性の40%しか正規職に就けない厳しい「買い手市場」となる。

また、せっかく希望通りの仕事に就いたとしても、いったん職場を離れた女性がホワイトカラー職に戻ることは困難であり、再就職で就く仕事の9割が販売サービス・単純労働職となっている。

その結果、出産より現在の仕事の継続を望む女性が増えていることが少子化の一因になっている。

「60年に6.0あった合計特殊出生率が最近では1.1を下回」るというのですから、その《推移》は、まさに激減です。

同様の問題を抱える日本が参考にすることのできる点もあるようで、「公務員採用に際して女性にアドバンテージを与えたり」、「選挙に際して一定割合の候補者を女性にする[クオーター制]を導入したり」といった施策がとられているそうです。

いずれにしろ現代女性の意識は以前と比べて大きく変化し、また変化しつつあって、日本でも韓国でもその流れを読めないドラマや映画は、やがて見向きもされなくなるのだろうと思います。


チェオク:謝ることはできません。ひざまずいて謝るほどの罪ではないと思います。

『シナリオ・ブック』(p.19)


↑ちょっと違いますか^^;
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2006年08月15日

“二人一緒じゃないと見つからない” ― 松本大洋『鉄コン筋クリート』

ここ何回かふれているイベント「第19回東京国際映画祭」。最初ぼんやり眺めていたのですが、《特別招待作品》をよくみると、そのなかに1本アニメ作品があって、なんと!そのキャストに

二宮和也/蒼井 優


な、なに〜【ハチクロ】もまだみてないのに、声優初挑戦〜の映画は【鉄コン筋クリート】。

サイト内の「MEDIA」をclickして、「!」をさらにclickすると、予告編をみることができますが、シロ役の蒼井さん、絶叫してます^^

さっそく松本大洋さんの原作の第1巻と第2巻を手に取りました。(第3巻だけどうしたわけか9月発送になるみたい…)


アニメもおもしろそうですが、この作品、その絵の力!

…圧倒されます。
 
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2006年08月09日

“神経科学からのアプローチ” ― クリストフ・コッホ『意識の探求』(上)

記憶 ― 環境という外部装置》で触れた下條信輔『「意識」とは何だろうか―脳の来歴、知覚の錯誤』を読み終えてほどない、この前の日曜日、今度は日経新聞の読書欄で脳科学者・茂木健一郎さんが取り上げていたのが、こちら↓


クリストフ・コッホ, 土谷 尚嗣, 金井 良太
意識の探求―神経科学からのアプローチ (上)


あまりのタイミングのよさに、早速注文^^

茂木さんの書評から ―

20世紀も最後の10年になって、意識を科学の対象として探求しようという機運が高まってきた。とりわけ、急速に発展してきた脳科学の立場から、意識を生み出す脳のしくみを説明しようという試みが多くの研究者によってなされてきた。

本書の著者のクリストフ・コッホ教授は、意識研究の分野の第一人者である。…

中心になるのは、本書でも詳しく議論されている「意識と相関するニューロン」の概念である。様々な手法で脳の中のニューロン(神経細胞)の活動の様子が明らかにされ、私たちの意識的体験と比較することが可能になってきた。

どのような神経細胞の活動が意識に上るのか、その対応関係を明らかにすることが、意識の科学的な研究の戦略であるべきだというのが本書の主張である。

おそらく下條さんのアプローチとはまた異なるのは、まだ読みはじめですが次のような記述からもうかがえます。

この本の作業仮説は、脳内のニューロンが持つ特徴から意識が「出現」するということである。
(上巻・p.25)

下條さんの先の本で印象的だったのは、たとえば ―

前章で取り上げた 「サイバネティック・タートル」エルマーとエルシーは、感覚系(センサー)と駆動系のきわめて単純な連結だけで動いているのに、はたからみると非常に生命的で、意図や社会性さえ持っているように見えてしまうロボット亀でした。この例を紹介したのは、意識を持っているように「ふるまう」ためには、身体性を持つことが重要であるとともに、「見る側」の認知様式が問題となるということを指摘するためです。

将来さらにロボティックス技術が進んで、人格や感情だけではなく身体の微妙な生理反応まで人間そっくりのサイボーグが出回るようになったとすると、そのサイボーグが人間的な悩みにさいなまれたり、また本物の人間がそれと知らずにサイボーグに恋をしてしまう、などということも起こりえます。エルマーとエルシーの例から私たちが実感するのは、これに類することが、それほどの技術的進歩を待たなくても(こちら側の認知様式のせいで)、案外簡単に起こるのかもしれないということです。

このように、意識は見る側の主観の問題でもあり、また見る側の内面の投影でもある。別の言い方をすれば、本人の行動の外からの観察者による認知であり、「帰属」なのです。
(p.184〜185)

下條さんは、「意識」とは「どこまでいっても多角的で重層的で、濃淡を持つ連続的なもの」であり、「観察する側の認知の様式で決まる」とかかれています。
(p.188〜189)

ともあれ、茂木さんが「意識研究を不作為の迷宮から救い出す上で、大きな役割を果たした」というコッホ教授のこの本は、楽しみな一冊(上下で二冊)です。

翻訳がこなれていて、今までのところぼくのような素人でも読みやすいのはありがたいことです。

翻訳を担当されたお一人、土谷尚嗣さんのサイトは→《コチラ
 


posted by sakae at 23:56 | Comment(5) | TrackBack(0) |

2006年08月04日

“骨太の歴史小説かつ超面白伝奇小説” ― 荒山 徹『高麗秘帖』

と、帯に記された文芸評論家・北山次郎さんのキャッチに代表されるように、荒山徹さんの作品を絶賛される方って結構いらっしゃって、どうせ読むなら処女作をということで手にしたのがこちら↓


サブタイトルだけでも興味をそそりますが、本の扉を開くと、当時(16世紀末)の朝鮮半島の地図が折り込まれてあって、早くも本格派の予感…。

読みはじめたばかりですが、登場する人物の漢字表記のルビは、朝鮮人のみならず日本人の場合も、朝鮮語読みの片仮名表記となっているのです。地名も同じ。日本読みでどんどん読み進めてもいっこうにかまわないと思うのですが、主要なものをメモしながら読み進めるとそれだけでも当時の雰囲気が感じられて楽しいです。

ネットで荒山さんを検索すると、《本よみうり堂・ずっと“一人韓流”だった》の記事が!

文禄慶長の役の名将、李舜臣(イスンシン)暗殺の陰謀を巡るデビュー作『高麗秘帖』(祥伝社文庫)を始め、日朝の交流史に奇想天外な剣術、忍法を絡め、血わき肉躍る物語を作り上げる。山田風太郎ばりの活劇は、大衆小説の王道だった時代伝奇ものを継ぐ本格派として評価が高い。

文庫版もでています。『高麗秘帖―朝鮮出兵異聞』

映画【王の男】が、朝鮮第10代王燕山君をモデルにしていることを知り、「朝鮮史」について知りたいと思っています。

原典というと『朝鮮王朝実録』ということになるようです。例によってウィキペディアから ―

李氏朝鮮の初代太祖の時から哲宗に至るまで25代472年間の歴史的事実を編年体で編纂した漢文記録。1893巻。

李氏朝鮮では高麗王朝の伝統を受け、春秋館及び芸文館を常設して時政を記録した。その筆法は朝鮮の歴史記録の伝統により、時の国王の介入を許さない厳格なものであったと伝えられる。

ハングルのわかる人は、「国史編纂委員会が著作権を買い2005年12月22日よりインターネットにおいて無料で読むことができる」ようです。→《コチラ

手頃な本はないかと探したところ ―

朴 永圭, 尹 淑姫, 神田 聡
朝鮮王朝実録

図書館サイトの案内には次のようにかかれています。

李成桂が王朝を開き、明治日本に蹂躙されるまで、五百年の正史を一冊に縮約。中国の圧力と新興日本の間で独自の文化を育んだ長寿の王朝を、ディテール豊かに伝える。日韓関係を大陸側から読める必須の史書。

予約しました^^

そういえば…と思い出したのが、【チャングムの誓い】。ひたすら録画を続けるだけで、まだ一回も観ていませんでした!

16世紀初頭の朝鮮王朝時代を舞台に、実在の医女チャングム(長今)をモデルにして描かれた韓国の時代劇。

激しく出遅れておりますので、この夏、忙しくなりそうです^^;
 
posted by sakae at 23:49 | Comment(14) | TrackBack(1) |

2006年08月01日

“まれびとの往還” ― 『折口学が読み解く韓国芸能』

日曜日の読売の書評が、もうネットで読めるんですね。うれしいけれど、購読しなくてもすんじゃうなぁという人も結構いたりして^^

それはさておき、今回の書評で目を引いたのは、首都大学東京の神崎繁教授がとりあげた本です。


神崎さんは次のように記されています。

能楽の原型である猿楽・田楽の例に見られるように、芸能の起源が神事にあることを解明するにあたって、折口信夫の果たした役割は大きい。

この世と異なる「他界」から訪れた神である「まれびと」が、神の語り部となって「ことほぐ」ことから、芸能者はまた「ほかひびと」の別名をもち、仮面などの装束も人が神の姿に「やつす」ことを起源としているという。

従来、琉球など南島文化と結びつけられてきた着想を、本書では折口の学生時代の朝鮮語習得をえ梃子に、韓国芸能に適用する。

実際、「まれびと」の「まれ」は、尊さを意味する「まろ」同様、朝鮮語の「麻立(まーる)」に通じるという。

今、まさに関心をもちつつあることがらなので、ネットでちょっと調べてみました。

折口信夫の“まれびと”について、《世界神話辞典》には次のように記されています。

折口信夫の最大の功績は「日本人の神観念」に「マレビト」の概念を持ち込んだ事である。また、後に折口学と呼ばれる学問大系はこの「マレビト」を中心にして成立した、としても良いであろう。

「マレビト」とは、「稀に来る人」のことで、「時を定めて外界から訪れ、予祝などを行う存在である。」折口信夫自身は「まれびととは何か。神である。時を定めて来り、臨む大神である。(大空から)あるいは海のあなたから、ある村に限つて富みと齢とその他若干の幸福とを齋して来るものと、その村の人々が信じてゐた神の事なのである。」とのべている。マレビトの具体例は、日本神話中ではスサノヲが挙げられる。スサノヲが高天原から追放される段の『日本書紀』には「スサノヲが簑をつけて宿を諸神に乞うた」とある。…

また、

折口信夫の「まれびと」論を決定的にしたものは、「国文学の発生<第三稿>」(『古代研究(国文学編)』所収 全集第一巻所収)である。…

国文学の発生<第三稿>」は、《青空文庫》で読むことができます。

時間を見つけて読んでみようと思っています^^

書評に戻ると、最後に神崎さんは次のように書かれています。

そう言えば、話題の韓国映画『王の男』で権力者を翻弄する宮廷芸人には、確かに「まれびと」と考えると腑に落ちるところが多い。

おぉぅ!王の男】!!

皆さんよくご存知の【恋愛時代】のイェジンさんと共演されたカム・ウソンさんが、《【大鐘賞】の男優主演賞を受賞》した韓国映画史上最大のヒット作です。



この作品、俄然観たくなりました〜。イ・ジュンギさんもいいですよね!
 
『折口学が読み解く韓国芸能』/目次
posted by sakae at 23:50 | Comment(9) | TrackBack(0) |
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